2023年 兎年
あけまして
おめでとうございます
昨年はおせわになりました
本年もどうぞよろしくおねがい致します
2022年は直腸がんを患い
人口肛門となりましたが
他への転移もなく
放射線治療もおわり
今は元気に過ごしています
2023年の抱負は「跳ねるように生きる」
歳女ですので 兎のように
ぴょんぴょん軽く
でも健康には留意しながら
軽やかに日々をすごしたいな
そして 世界中で素敵な良運が
たくさん開かれ明るい年になりますよう
お守りを絵で送ります
本年もどうぞよろしくお願い致します
2022年12月15日
本日の墓地ぼち散歩は八王子です。
今年最後の散歩。散歩の後は忘年会もかねて?といことで
本日はお昼からのスタートです。
天気は冬晴れ。風もなく空気は冷たいけど日向があたたかな
日中でした。
本日のスタートは八王子霊園から。
とにかく広いのです。
特徴は、墓石がみな統一された形で並び
整然として美しい霊園です。
この霊園であらためてしったのは、
墓石に「奥津城」と表示のあるものが
神道の墓石であることです。
これまで神道の墓石では丸いお墓をたくさん
見てきました。
が墓石として神道のお墓だよという
表現に用いているのが
奥津城という表現だということを
先生に本日教えていただきました。
八王子霊園で訪れたのは
藤沢周平のお墓です。
藤沢周平といえば、「たそがれ清兵衛」「武士の一分」など
映画でも有名ですね。
私は実は一冊も読んだことがないのですが、
散歩の仲間いわく、とても読みやすい時代小説だそうです。
映画は知っていたので、確かに
名もなき武士をとりまく夫婦、親子などのその時代で
あったかもしれない悲しくも愛おしい日常を
描いていた現代にも通じる時代小説であったのでしょう。
1人目の奥様を若くして亡くし、その折にこの霊園に
建立されたようです。
そして、墓石には「小菅家」となっていますが、
本名を小菅留治(こすげとめじ)ということで、わたし…今まで
藤沢周平が本名と思っておりました。
ペンネームだったのですね。
なんかとても作家っぽい名ですね。
しかし、これまで参拝してきた作家のお墓とは違い
質素です。お人柄を感じたりしますね。
静かにしておいてねと聞こえてきそうでした。
さて、八王子といえば。
御陵です。本日は大正天皇、昭和天皇の眠る御陵へと足を運びました。
神道であるので丸いお墓であるわけですが、とにかく大きいです。
隣には皇后のお墓も。
大正天皇のお墓は少し木々に囲まれていました。
昭和天皇のお墓は解放された感じで木々が邪魔にはならず良く拝見できました。
行く道の途中では、小屋があり、警備の警察官が常駐していました。
やはり皇室の墓ということで警備を怠らずということでしょう。
あまり一般の人も多くは訪れないでしょうし、大変なお仕事です。
写真は順に、大正天皇 貞明皇后 昭和天皇 香淳皇后のお墓です。
行き道は玉砂利で、周りを高い木々に覆われ、静寂と神聖な空気に包まれていました。
本日の墓地ぼち散歩は以上です。
いざ、忘年会会場へ!!!
今日のお食事は八王子駅南口より徒歩2分の「やきとり小太郎」です。
先生はおいしいお店をよく知っているので、本日も楽しみでしたが
思った通り、もつ煮込みはとにかくとろけちゃうおいしさ。
ハツの食べ比べもとてもおいしかったし、焼き鳥も絶品です。
お店の人がおいしい食べ方など教えてくれえるのお薦めでつい注文しちゃいますよ。
2022年の散歩納め
八王子駅のちょっとしたイルミネーションに見送られ、その地を跡にしました。
私はアルコール入ってないのですが、なんだか体調は飲んだ気分でした。
不思議なものです。皆さんのお酒が蒸発してたのでしょうか(笑)
2023年も仲間と一緒に墓地ぼち散歩で楽しい時間を過ごしたいと思います。
みなさまどうぞ、良いお年をお迎えください。
2022年11月17日(木)
本日の墓地ぼち散歩は千葉松戸市です。
私は家から2時間ほどかかりました・・・。遠かったぁ!!!
心配なのはストーマのご機嫌
トイレのない電車に長く乗るのはとても不安でしたが
なんとか無事に現地集合場所に到着
今回は霊園です。
八柱(やばしら)霊園 ここは、千葉にありますが東京都八柱霊園です。
たくさんの文化人が眠っているようですがすべてはまわれないので
先生のチョイスで回ってきました。
西條八十の墓
詩人で仏文学者。私のイメージは詩を書く有名な人ですが
先生曰く、株式投資をしたり天麩羅屋を開いたりと、
本業以外にもお金を稼ぐことをしていた人物だそうで、家族を養うためだったのでしょうか?
お墓の碑にはまるで奥様へのラブレターのような詩が
刻まれていました。ロマンチストですねぇ
われらたのしくここにねむる
離ればなれに生れめぐりあひ
短き時を愛に生きしふたり
悲しく別れたれど
ここにまた心となりて
とこしへに寄りそひねむる
と、書かれていたようです。愛妻家
レオニード・クロイツァーの墓
存じ上げなかったのですが、天才ピアニスト
ユダヤ系ドイツ人を両親にもつロシア生まれで
ドイツに移住しましたが、ナチスに追われて日本に移住したようです。
日本で多くのピアニストを育てたそうです。
奥様は日本人 お墓はご夫婦で名が刻まれていました。
今までも感じてましたが
日本にお墓のある有名な外国生まれの方々多いですよね。
嘉納治五郎の墓
遠くからでも目立つ鳥居があるお墓
神道なんですね。神道のお墓は石積みで丸いのです。
知る人ぞ知る柔道「講道館」を創った人ですね。
オリンピックや日本の体育教育にも影響を与えた人物だそうです。
最後はあの横浜にある客船氷川丸で日本に帰る帰途に肺炎で
亡くなったそうです。
余談ですが、オリンピック選手団など大会の前には
ここに訪れるそうですよ。と先生が教えてくれました。
江上トミの墓
NHK「今日の料理」、
日テレ「キューピー3分クッキング」の講師
私の時代だと土井さんだった気がしますが
母に確認すると肉料理とか覚えたわ。と話してくれました。
開校した江上料理学院は現在も孫の代となりつづいているという。
松山恵子の墓
行けばわかる写真入りの碑
歌手ということで、「だから~いったじゃないの~」とかうたった人で
紅白には8回出場。なんとフリフリの衣装がすごかったらしく
お人形さんのようなドレスで歌ったそうです。
写真もそのままわかりやすいですね。でもお若くして亡くなっています。
小松崎茂の墓
画家で少年雑誌の表紙やプラモデルの箱絵を描いていたそうです。
私の小さいころの記憶ですが、父が持っていたプラモデルの箱は
写真とかでなく絵だった記憶があります戦車のようなものだったけど
それはもしかしたら・・・・と思ってしまいました。
また、SFのイラストや映画のメカデザインも手掛け、
石ノ森章太郎や松本零士らの
漫画家にも多大な影響を与えた人だそうです。
土門拳の墓
最後は写真家
写真集「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」など
社会派リアリズムの作品で知られる。
日本で最初の写真美術館「土門拳記念館」は故郷山県にあります。
一瞬を切り取れる写真家あこがれますね。
このあとは、バス電車を乗りついで葛飾柴又へ
柴又駅到着。
おでむかえは、寅さんとさくらさんの像です。
いざ帝釈天へ!
参道も昭和な感じでいいですね。参道がにぎわう場所って
少ないですものね。
帝釈天
とても建物が古く立派でびっくりしました。
とても広いので、お参りだけ。
今日の散歩はこれにて終了
このあとはランチへ
参道にあったお店「やぶ忠」へ
天麩羅もおそばもおいしくて!!!
料金にも大満足平日にもかかわらず混んでました。
さっぱりとした蕎麦羊羹。もう食べられないとおもいましたが、
ペロっとお腹にはいっていきました。
みなさんはいつものビールの他に蕎麦焼酎をのんでました。
おいしそうでした。うらやましい・・・・・・・・・
私もそろそろ家でお酒の訓練をしよう!!!かな。
のんでも平気なのか?どのくらいなら?
今度相談してみよう。
お土産に髙木屋さんの草だんごを買いました。
だんごにあんこを付けて食べるタイプですね。
母も大好き いただきます!!!
次回は皇室墓地予定だそうです。
どこもかしこもはじめてだらけで、ほんと楽しい。
ですが・・・・本日はちょっとお疲れ気味
よく眠れそうです。
久々の、10か月ぶりの墓地ぼち散歩参加です。
ご無沙汰しておりました。
直腸がん手術から半年で散歩に参加できて
ほんとにうれしいです。
2022年10月20日(木)
今日は目黒駅(品川区)からのスタートです。
駅から程近い高福院から寺町と呼ばれる地域へ
高福院(こうふくいん)では、恩地孝四郎(抽象木版画の先駆者)、
青山杉雨(書家)、長谷川伸(小説家)のお墓へ
恩地孝四郎(おんちこうしろう)は、前衛的創作版画の先駆者で 大正末期~昭和初期にかけて
装丁多く手掛けていますが、自宅に戻り調べてみると
とてもモダンな作品から美しいもの、斬新なデザインまで素晴らしい作品
ばかりでした。あぁ、昔の本というのは古本屋で本の表紙をさわって
表紙を眺め、その表紙の厚みをゆっくり開いて世界に入っていく
そんな楽しみのあるものだったかもしれません。
青山杉雨(あおやまさんう)は、書家だそうです。中国の古典を現代に融合させたといわれる
篆書が得意だったようです。自宅で調べると愛知県出身ということで
同郷なので、へーっと思いました。お墓の文字は確かに篆書っぽい!
ご本人がかいたものでしょうか。
長谷川伸(はせがわしん)は、小説家。私が生まれた年に亡くなられているので
存じ上げませんでしたが、「股旅物」というジャンルを開発したのは
この長谷川伸だったそうです。池波正太郎は弟子のひとりだったそうですよ。
お墓は大分古く感じますが、子孫の方がお参りに来ているようでありました。
さぁ、次々とお寺めぐりお墓巡りへ・・・
光取寺(こうしゅじ)
陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう)のお墓
第12代横綱 江戸時代最後の横綱だそうです。陣幕とう四股名も珍しい
ですね。
先生、どんどん歩いてお寺巡り
清岸寺(せいがんじ)
こちらでは、寺の墓地ではありませんが、
歌舞伎俳優の坂東三津五郎(7世、8世)のお墓がありました。
ここではなぜか近藤サトさんの話でもりあがってしまいました。(笑)
隆崇院(りゅうそういん)
こちらは、伊藤深水のお墓があります。
この方は、美人画で有名な方。美人画の評判が高いため他の画題注文が
こなかったとも?
朝丘雪路さんはこの方の娘で溺愛されて育ったと有名ですね。
戒法寺(かいほうじ)
高井蘭山(たかいらんざん 江戸時代後期の戯作者)
自宅で調べましたが、
中国から輸入された『水滸伝』を曲亭馬琴が翻訳して
いるが、高井蘭山も新編水滸画伝を翻訳しています。
常光寺(じょうこうじ)
ここには福沢諭吉の墓所が過去にありましたが、現在は棺の上に置かれていた石に文字を彫り碑がたてられています。このお寺には慶應関係の方々のお墓が多くあるそうです。
最上寺(さいじょうじ)
芹沢銈介(せりざわけいすけ 染色家)
型絵染めの第一人者だそうです。
びっくりしたのは法名のながいことながいこと!!!
自宅で作品を検索しましたが、版画とはまた違った味わい深い染めも
とても温かみがあっていいものですね。
このあとは
池田山公園へ。
高級住宅街のなかにある回遊式庭園で、備前岡山藩の下屋敷跡地だそうです。
静かだしお散歩にもいいし、このような日本庭園が住宅の中にあるこの地域の方がうらやましい。
そして、旧正田邸跡のねむの木の庭へ
上皇后美智子様のご実家後は木々や花の庭になっていました。
美智子様のお歌とともに花々が植わっていました。プリンセス美智子の花 バラも。
正面入り口の門構えはそのまま残したものでしょうか?
あっというまにたくさんのお寺のお墓を巡りました。
秋晴れで涼しい日でも日中は歩くと汗もかきました。
お腹もすいたので・・・・
今日のランチは先生の次女さんのお薦めのお店
中華”巧匠(チャオジャン)”台湾料理のお店で1000円ランチを
いただきました。580円ランチもあってボリューミーなのに安いというか量も味も大満足です。
アルコールは皆さんビールをいつものように(笑)
私は今日はオレンジジュースで。
ランチの後は庭園美術館へ
これはとても私的なことなのですが、
オストメイト対応トイレが池田山公園と東京庭園美術館にあったことに
びっくりしています。
ストーマパウチの処理の際には障害者用トイレを利用しようと
思っていましたが、オストメイト対応トイレは新しくとてもきれいなので
感激しました。
次回は千葉とか・・・?
楽しみです!!!
直腸がん
去年の秋頃から生じた違和感
お腹の調子が悪い!血便!便が細い!
少しの痛みや疲れやすさ等々。
今年に入り大腸がん検診を受けた
すぐに癌がみつかり日医大多摩永山病院を紹介された。
2月に検査を受け3月には手術のための検査に通い
肛門裏にできている癌のステージは3と告げられた。
手術前検査の転移の可能性の結果を待つ時間が
長かった。結果は肺、肝臓への転移なし
リンパへの転移は手術してみないとわからないということで
ステージ3という診断になった。
手術は癌を切除し人工肛門を増設と説明を受けた。
あっ・・・父と同じなんだなと
S字結腸癌で亡くなった父と同じ・・・
年齢もほぼ同じ
年単位での進行癌であると言われ気が付かなかった自分を
悔いたりもしたが、なったものは仕方ない。
治癒するまでがんばろう!
転移はないのだから気持ちを前向きに。
転移なし
の先生の言葉に少し涙が出た。
3月30日入院
4月1日手術
4月21日退院
5月31日より7月11日まで30回の放射線治療予定
手術の結果リンパへの転移もなくステージは2となった。
私にとっては幸運であったとしかいいようがない。
現在は私の新しいストーマ(人口肛門)とつきあいながら
なんでもない毎日を過ごしている。
今後は再発をしないようまずは5年を目指そう!
ちなみに・・・・直腸がんでは痩せないそうである・・・
しかし、これ以上は太るな!と先生に釘をさされたので
現在はバランスのよい食生活を実施中
まだまだ元気でいたい。
今秋には墓地ぼち散歩に復帰し楽しい時間を増やしたい。
しばらく散歩ブログはお休みですが
また会う日まで。
皆さんもお元気で。